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国際NGO / NPO法人 ロシナンテス

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スーダン情報


スーダンは、北アフリカに位置するアフリカ大陸最大の面積をもつ国です。

スーダン情報

0. ロシナンテスの由来について

チェ・ゲバラはアルゼンチン生まれの医師です。学生時代に南米をバイクで旅をし、貧しい人々の生活を目の当たりにし、何とかしなければと心に誓います。その後、カストロと行動を共にし、キューバ革命を成功させます。そして彼は革命の政府高官になりますが、「再びロシナンテの背に跨りたい」との言葉を残し、アフリカへさらなる革命を行いに向かいます。

ロシナンテ ロバロシナンテは、ドンキ・ホーテの乗る痩せ馬のことです。私自身はこの広い世界に対して痩せ馬であると思っています。無力に近い存在です。しかし、私の周りには仲間がいます。彼らも広い世界からみれば私と同様、痩せ馬です。そして、この痩せ馬たちが集まれば、きっと「事が成せる」と思います。そこで複数形にしてNPO法人の名称を「ロシナンテス」としました。

1. 外務省辞職

スーダン写真外務省の医務官として在スーダン日本大使館に勤務していました。98年に在タンザニア日本大使館に赴任して以来、アフリカでの生活は計6年(途中ロンドン1年)になっていました。医務官とはそれなりに面白い仕事なのですが、自分の本来行いたいこととは違っており、このままでいいのかな?と、漠然とは以前から考えていました。
アフリカの現実を見たものとして、ここで医療を行いたいとの思いが日増しに強くなり、家族に我儘を言い、裸一貫でスタートしようと心に決め職を辞したのが、この1月です。

2. 高校ラグビー部の後輩との出会い

ラグビーという競技はおもしろいものです。1つのボールを両チーム計30名で、奪い合い、敵陣に攻め込んでいきます。試合に勝つため、辛い練習に耐え、チームメートとともに泥水をなめ、汗と時には血を流すこともあります。そして、いつかは試合に敗れ、涙を流します。こうやって同じ時を過ごした仲間とは、どんなに年月がたっても、その関係に変わりはありません。

2-1. 竹友君との再会

高校ラグビー部1学年下の竹友君(現在ユニセフ職員)とはなぜか縁があります。タンザニアで医務官をしていたころ、全く偶然に患者としてきたのが彼でした。予期せぬ再会に彼の病状も吹っ飛んだくらいです。彼は私とタンザニアでしばらくの間、時を同じく過ごし、次の赴任地イラクへと旅立っていきました。
次の再会は、関西国際空港でした。偶然にドバイ(アラブ首長国連邦)への飛行機が同じで、ドバイから彼はイラクへ私はスーダンへと分かれました。その時に、「おまえ、スーダンに来いよ」と言っていましたが、まさかそれが本当にその言葉どおりに成るとは思いもよらぬ事でした。
彼がスーダンに着任したのは、私がスーダンを離任する2日前でした。驚く彼に、「俺は外務省をやめ、フリーの医師としてまたここに戻って来る。その時はお前の部屋に居候させてくれ。」と頼み、私は家族とともに日本へと向かいました。

2-2. 霜田君との再会

どのような形でスーダンに行くか、それさえもはっきりしないまま、日本中を駆け巡り、いろんな方と会って意見を聞いて回りました。そのなかで、自分自身でNPOを立ち上げ、スーダンで活動する事が最良かなと思うに至り、準備をしている最中に、高校ラグビー部の2つ後輩の海原君から、「同期の霜田がアフリカから帰国するので、川原さん面倒見てやってくれませんかね。」と言われました。霜田君が帰国後、すぐに連絡をとり会いました。彼とは20年ぶりの再会でした。
彼は今までいろんなことをやってきたらしいのですが、特筆すべきはイラクでボランティア活動をしていたことです。イラク戦争でのバグダッド陥落後、バグダッドに世界で最初に入った民間ボランティアのメンバーでした。バグダッドでは戦乱で海外との連絡が不能となっており、国際電話の斡旋や国際郵便の配達などを行っていたそうです。いわゆる臨時の郵政省をやったのです。
私は、彼のそんな話を聞きながら、私とスーダンとの関わり、私のやりたい事などを語りました。そのような話をしているなか、彼は私と一緒にスーダンで活動してくれることを約束してくれました。これには正直涙が出るほど嬉しかったです。私自身に収入はありませんし、もちろん彼に払うものなど何もありません。でも彼は決意してくれたのです。

3. ロシナンテ

ある方から、中古車を要らないかと言われ、それを見に行きました。日産バネット19万キロ走行済みです。「まだ走れる」とのことであり、スーダンに持ち込むものが何もない私にとっては、大変ありがたいものでした。
ロシナンテ号私は予てからチェ・ゲバラがキューバ革命を成功させ、その後再びアフリカに行く前に言った言葉が気に入っていました。「もう一度ロシナンテの背に跨りたい」。ロシナンテとはドンキホーテのやせ馬のことです。中古車を斡旋してくださった方が、そのバンに「すべてのスーダンの人々へ~ロシナンテたちより」とスペイン語で書いてくれました。そして、この車は「ロシナンテ号」となって息を吹き返したのです。

4. 出陣式

一世一代の出陣式をしたいと考え、出発点は高校からだと、高校の校長先生に会いに行き、事情を説明しました。校長先生は快諾してくださり、現役のラグビー部員、応援団員、多くの支援者、そして私の家族も呼んで出陣式を行いました。ポンコツ車ロシナンテ号の右サイドに応援団長に「福岡県立小倉高等学校」、左サイドにラグビー部主将に「花園目指してがんばるぞ」と大書させました。ロシナンテにまた新たな魂が吹き込まれたのです。そして、現役高校生の熱のあるエールを貰い北九州を後に東京に向かいました。
出陣式は東京でも行いました。面識は全くなかったのですが、赤坂プリンスの支配人に頼むと私の心意気を理解していただき場所を提供してくれることを快諾してくださいました。また、高校OBの方々にもサポートをいただきました。衆議院議員をしている高校の後輩の武田良太君がラグビーをやっているならと森元総理まで引っ張り出してきてくれました。森先生は日本ラグビーフットボール協会の2011年ワールドカップ日本招致委員会の会長でもあります。森先生からありがたい激励の言葉を頂きました。また在日本スーダン大使をはじめ大使館の方々も列席してくださいました。その他多くの方々が参加してくださり、「皆様方が、我が人生を応援してくれているんだ!」と感無量になりました。

壮行式写真

5. 活動開始そしてスーダンへ

ロシナンテスが本格的に活動を始めたのは1月です。
日本で活動基盤を作り、私と霜田君がスーダンに到着したのは4月25日でした。3ヶ月ぶりに見るスーダンの大地であり、懐かしい、うだる暑さとスーダンの人々の活気に触れ、ここに戻ってきたんだなと実感しました。空港には竹友君が迎えに来ていました。
竹友君のフラットは我々が生活するのにちょうど良い広さです。炊事、洗濯、掃除と自分たちで行う合宿のような生活がこうして始まりました。

6. 新しい仲間

スーダンに来てすぐに、当地でアラビア語を勉強している原田君と出会いました。彼は東京外国語大学のアラビア語学科の現役の学生ですが、アラビア語を習得するためにスーダンに04年9月からスーダンにいました。彼は我々の活動のサポートをしたいと言ってきましたので、語学の習得には実践が一番と、いろんな場所で通訳をしてもらいました。なかには私と大臣との話にも彼は通訳として活躍しました。また、私の知り合いの医師の家でホームステイをすることになり、彼のアラビア語にも磨きがかかってきました。そして、7月に日本へ戻っていきました。
また8月には、別の学生の荒井君がスーダンに留学してきました。彼の勉学にかける意気込みは大変なものです。理工学部を卒業した彼は、学生時代にアフリカや中東を旅した経験より、自分はアラビア語そしてアフリカにかけようと、シリアに1年間アラビア語の習得に出かけ、その後にアラブとアフリカの接点であるスーダンにやってきました。彼は30歳までは勉学にかけると言っています。その意気込みに大いに感じ入った我々は、NPO法人ロシナンテスの奨学生として彼の勉学を支えています。奨学生と言っても布団を買ってやり、飯を食わせているだけですが。

大きな支援組織もなく、全くのゼロからスタートしたNPO法人ロシナンテスが、スーダンで今後どのように展開していくのか、そしてまたここに集う4人が、どのような人生を送るのか、このホームページでお伝えできるように致します。