
イブン・シーナ病院は1985年に日本が無償で建設したもので、総ベッド数150床の消化器科、耳鼻科、泌尿器科からなる専門病院です。岡山大学が中心となって技術支援も盛んに行われ、多くの日本人医療関係者が当病院を育てて生きました。同時に多くのスーダン人医療関係者を日本に招聘し、研修をしていました。
不幸なことに1992年より日本からスーダンへのODAが中止され、それに伴い当病院への援助も打ち切りとなってしまいました。
私が在スーダン日本大使館に医務官として赴任したのが、2002年9月でした。前任の伊東医務官が一生懸命に当病院のフォローアップ事業を再開しようと頑張っておられました。そして、私もそれを引き継き、病院の隅々にまで目を通しました。驚いたことに、古い日本からの機材をスーダンの人々は懸命に修理を繰り返しながら使用していました。これは、このフォローアップ事業を何としてでも成し遂げようと、当時JICA事務所がない当地で孤軍奮闘しました。お蔭様で、2003年に当事業が行われ、病院のインフラ整備に当てられました。
今度は人の交流を日本・スーダン間で行えば、さらに病院は発展していき、これがスーダンの医療の底上げにも繋がると考えました。ただし、人の交流事業は前回のフォローアップ事業のようにうまくはいかず、私の在任中には実現できませんでした。
2005年1月、私は外務省を退官しました。そして真っ先に行ったことは、当病院の院長を日本に招聘することでした。九州大学を中心として3週間の日本滞在を有意義に視察してもらいました。
2005年4月、私はスーダンにわたり、当病院に籍を置き、スーダン当局より医師免許を発行してもらい、医療活動を始めました。私自身、外科医の端くれとして当病院の外科チームに入り、手術を行いました。また日本からスーダンを訪問してくる医師、学生を必ず当病院に連れて行き、視察してもらっています。また外科医の先生には手術にも入ってもらっています。
2006年5月、当病院の外科部長でありウンドルマン・イスラミック大学医学部長でもある外科医と当病院の内科医の2名を日本に招聘しました。また5月、6月と当病院の看護師2名を岡山済生会病院で研修してもらいました。このようにロシナンテスは当病院を中心としての交流を広げていっています。