交流事業 活動報告
臨床工学の通訳の目から見た開発援助
2010年3月31日
東京大学経済学研究科 修士課程
宮内 悠平
3月21日から3月26日の期間中、日本医療機器技術支援協会(J-METS)の伊藤嘉延氏、奥村友和氏両名の通訳として、ハルツーム市(スーダン)での活動に同行させていただいた。個別かつ専門的な部分は門外漢の私の口の挟めるところではないので、そちらについては両氏のレポートに譲るとし、本レポートでは「素人」の視点からやや俯瞰的に、臨床工学の現状と今後の課題を報告することとする。
1.調査結果
以下に、本調査によって明らかになった事実を概観する。J-METSはこれまでイブンシーナ病院を中心的に臨床工学に関する指導を行ってきたため、今回も日程の多くの部分はイブンシーナ病院でのレクチャー及び見学に割かれた。しかしながら、今回の滞在中はハルツーム教育病院も見学させていただいたほか、イブンシーナ病院にて最終日行われたディスカッションに他の病院からの参加者がいたことを通じ、イブンシーナ病院以外のハルツーム市内の病院の臨床工学的実態も一定程度把握できた。また、ハルツーム市内2大学で行われた臨床工学専攻の学生に対する講義、及びそれに付随するディスカッションを通し、臨床工学技士の教育体制に関しても一定程度の認識を得ることができた。
以下の章では、イブンシーナ病院、ハルツーム市内他の病院、スーダンにおける臨床工学技士の教育体制の順に、調査結果を報告する。なお、本章に関しては専門的見地になるべく立ち入らないよう、次章の問題分析において読み進めるのに支障のないような最低限のレベルに記載をとどめておく。
1.1.イブンシーナ病院
イブンシーナ病院は、日本のタイドの援助を受けて25年前に設立され、今でも機材支援など、日本の医療援助の集積点となっている病院である。この背景を受け、J-METSはこれまで過去三回のスーダン訪問の際、イブンシーナ病院を中心的に見学、指導を行ってきた。同病院の臨床工学技士長であるアワッド氏とはこれまでの協力を通じ、良好な関係が保たれている。
1.1.1.機材の管理体制
毎日行われる日常点検に関しては、ノートにまとめてはいたが、最低限のチェック項目は網羅されていなかった。本来日常点検のチェック項目はマニュアルに記載されているが、一部のタイドの援助により支給された日本の機材に関しては、マニュアルを読めないという問題もある。日本ではチェック項目をリスト化し、それを参照しながら点検を行うことが多いそうなので、このようなチェック項目のリストを作成することをアドバイスした。
定期点検に関しては、カリブレーション等の管理器具がほとんどない中という条件付きでは、最低限のことは行われていた。しかしながら、本来定期点検はメーカーが一部もしくは全部分行うそうだが、このようなメーカーからのサポートは行われていないのが現状である。定期点検の管理に関しては、日本で行われているように、ダブルチェックの意味で、機材に「いつ、だれが点検を行ったか」といったステッカーを貼ることをアドバイスした。
1.1.2.機材の調達
ECG電極や電気メスの電極板等、本来は使い捨てであるはずの機材が、粘着力がなくなっているにも関わらず、何ヶ月も続けて使用されていた。アワッド氏はこの状況を把握しているが、病院として予算をつけてもらえないということであった。これに関してはアワッド氏及びJ-METS側からJICA、病院長、保健省など各方面に現状報告と改善願を提出するということで合意した。
一方で、新規に導入された機器が故障しているような状況も散見された。これらの機材には、スーダン政府からトップダウン的に購入し設置した機材(麻酔器)や、J-METSが以前提供した機材(超音波機器等)が含まれる。これら二種類の事例に共通しているのは、代理店がスーダン国内に存在しないため、故障時にメーカーと連絡を取れないという事実である。不良品に対するサポートが十分受けられないという問題が浮き彫りになった。
また、新規に導入された機器が使用されていないような状況も散見された。具体的には、JICAが新規に提供した機材(人工呼吸器)が使用されずに放置されていて、以前より使用されている人工呼吸器が使用され続けていた。これに関しては、機器の操作を行う看護師が使用方法に関する十分な知識をもっていない上、本来看護師に使用方法を説明するべき臨床工学技士も、メーカーおよびJICAからの指導が不十分だったために操作方法が分からない、という背景があることが確認された。イブンシーナ病院の臨床工学技師には、メーカーもしくは代理店にコンタクトをとり、使用方法に関する十分な指導を受け、看護師に指導を行うようにアドバイスした。
また、医療機材の購入のプロセスも非適切な側面があることが露呈した。具体的には、最新の機具(ABC型電気メス等)が購入されているにも関わらず、電極板等必要最低限の消耗品には予算が割かれていなかった。この問題の背景としては、機具購入の意志決定プロセスに現場の人(医者、看護士、臨床工学技士)が十分にコミット出来ていない可能性があること、政府がトップダウン的に機具を購入してしまうこと、また援助機関(JICA)も現場のニーズを把握しないまま機材提供をしてしまっていること、が挙げられよう。
1.1.3.機材の廃棄
故障した機材に関して、機材が処分されず保管されているケースが多かった。廃棄処分をしないこと自体は重大な問題ではないが、潜在的な問題は存在するので、指導を行った。第一に、吸引機や麻酔器等、一部の故障器具が手術室やICUに放置されていた。機材の誤用やスペースの観点から、これらの故障器具は廃棄するか別の部屋に保管するよう指導した。第二に、故障器具のマニュアルと現在使用されているマニュアルが同一箇所に乱雑に保管されていた。これに関しても、廃棄するか、別に保管するよう指導した。
機材の廃棄がスムーズに行われていない背景として、J-METSのこれまでの活動を踏まえ、日本の臨床工学技士が来て直してくれるという考えがあったようである。J-METSの活動内容がしっかり定まっていなく、J-METSの役割もイブンシーナ病院に伝わっていなかったことも原因であるが、いずれにしても持続的でない依存体質が出来つつあるのは問題であろう。
1.2.ハルツーム市内のイブンシーナ以外の病院
ハルツーム教育病院に関しては、日常点検の項目リストが詳細に用意されていて、ファイルを用いた管理も徹底されているなど、イブンシーナ病院よりも遥かに高いレベルの管理体制が整っていた。これは技士長が若く、より新しいカリキュラムで教育を受けた上に、欧州諸国にて研修を数度行ったという背景に大きく依存していると考えられる。
しかし、新規に導入した透析による水管理装置のマニュアルが届かないため、一ヶ月ほど十分な点検が行われていない、といったような課題も見られた。細かい点ながらも、このような課題の存在は、表面的には先進的な管理スタイルを導入しながらも、「なぜ一つ一つの行動を行わなくてはいけないのか」という医学的・工学的背景が理解されていない可能性を示唆している。詳細は後述するが、臨床工学的問題が大きな社会問題として顕在化していないスーダン社会において、先進国のスタイルだけ導入しても抜け落ちが発生してしまう一つのよい事例であると考えられる。
他の病院に関しても、概してイブンシーナ病院よりも進んでいるという印象を受けた。このことは、日本のタイドの援助で設立され、内戦期間中に援助が完全にストップしたため日本製機器に対する十分なサポートが行われなかったという事情も踏まえ、臨床工学という一側面においてイブンシーナ病院がスーダン医療界の先進的な地位を失いつつあるという状況を示唆している。
1.3.臨床工学技士の教育・育成体制
詳細な調査に基づいているわけではないが、近年の卒業生や在校生の言動から、学校における臨床工学教育は非常に高いレベルにあるという印象を受けた。しかしながら、学校で実際の機械を所有できないなど、プラクティカルなレベルでの教育体制には改善の余地があることがわかった。これに対しては、スーダンや日本の病院で古くなって廃棄処分するような器具を譲り渡すような体制が望まれる。
2.問題分析
前章で取り上げたほぼすべての問題点は、二つの観点から説明可能である。第一に、臨床工学をとりまく社会的背景の相違という観点である。第二に、イブンシーナ病院においてこれまで日本の各種機関が行ってきた支援の在り方という観点である。これらの観点を鑑みると、前掲の問題点は生じるべくして生じた、換言すればイブンシーナ病院を含めたハルツーム市内の病院が非常に合理的に行動した結果生じた問題であるといえよう。
2.1.臨床工学をとりまく社会的背景の相違
日本を含む先進諸国において、臨床工学技士という職業が生まれその地位を確立していった背景には、医療機械の高度化に付随する責任関係を明確にする、つまり機械の問題による医療事故の責任をとる人間を作りだすという狙いがあったと言えよう。しかしながら、スーダンにおいては、そもそも医療事故全般の責任を明確にする社会システムが確立していない。ましてや機械の問題による医療事故の責任を、手術チームのリーダーである執刀医に帰するのか、機械を使用した看護師に帰するのか、はたまた機械の整備をした臨床工学技士に帰するのか、といった判断を下すのは容易ではなく、またこの類の情報のアカウンタビリティを要求する社会的圧力も未熟である。透析の水質管理など、機械の不整備が実際に患者の寿命を短くしているのか、またどれだけ短くしているのかといったことが正確に把握できていない事例も多い。
一方、メーカーのサポート体制が整っていないスーダンにおいて、機械が故障したときの修理に対する需要は大きい。当然のことながら、機械を修理するのは機械の管理を行うよりも多くの知識が必要なため、臨床工学技士には、臨床の知識よりも機械の知識を習得することが優先される。端的に言えば、日本の臨床工学技士が患者に対して責任をもっているのに対して、スーダンの臨床工学技士は機械そのものに責任をもっていることになる。
このような状況において、管理がおろそかになるというのは自然であろう。臨床工学技士には訴訟時の保身のために書類をまとめるインセンティブもない。また、毎日管理したところで、異常が見つかってもメーカーに連絡することは出来ず、結局自分が修理を行うことになる。メーカーへの報告の書類を用意する必要もない。
一見すると散漫に見えるスーダンの臨床工学体制は、スーダン社会においては十分合理的な体制なのである。しかしながら、医学的には先進国の体制の方が望ましい以上、スーダン社会においても今後臨床工学的問題は社会問題として顕在化していくであろう。後述するが、無理に先進国の管理体制を輸出していくよりも、問題が顕在化したときに社会が不安定にならないよう、社会をうまく誘導していくことが求められる。
2.2.イブンシーナ病院における日本の支援
今回の調査により、イブンシーナ病院がハルツーム市内の大病院と比較して臨床工学的に大きく立ち後れている可能性が指摘された。ハード面では、メーカーの十分なサポートを受けられない日本製品が多く、機材の修理やスペアパーツの入手に関して他の病院と比較して困難だという問題が存在した。厳密な調査に基づく結論ではないが、イブンシーナ病院は放って置いても日本の支援を受けられるため、スーダン政府がイブンシーナ病院に割く予算を抑えているという背景もあると考えられる。ソフト面では、日本の支援があるために、他の病院と比較して自助努力が足りない場面が散見された。例えば、J-METSの技師が来ることを頼りに廃棄処分をしない、また、スペアパーツに関しても、メーカーに直接頼むのではなく、J-METSを頼りにしている点などが指摘された。
ハード面にしても、ソフト面にしても、重要なのは、イブンシーナ病院のキャパシティや怠慢で問題が発生しているのではなく、J-METSを含めた日本の支援のあり方によって問題が発生したり、解決されずに残ってしまっていたりするという点である。このことは支援自体を否定するものではないが、支援形態を変えることでより良い支援が行えることは推察できる。例えばどのような支援形態があり得るかに関しては、次章で言及したい。
3.今後の支援に関して
前章の分析を背景に、今後の臨床工学における支援形態として以下の2点を提案する。第一に、職能集団の設立および活動の支援である。これらの活動を支援するだけの知識と経験を有する団体として、J-METSは的確な母体であると考えられる。第二に、イブンシーナ病院に対する高度医療支援を提案する。イブンシーナ病院の現状および過去の協力体制を鑑みると、イブンシーナ病院における高度医療支援は最適な援助戦略の一つである。J-METSの知識を生かし、JICAの大規模なフレームワークを活かした効果的な援助が求められる。
3.1.職能集団の設立および活動の支援
既述のとおり、臨床工学的問題が社会問題として顕在化していないスーダンにおいて、日本と同レベルの管理を徹底するのは難しい上に、持続的でもない。よって、今後の支援においては、今後スーダンにおいて臨床工学的問題が社会問題として顕在化していく際に軟着陸できるような医療システムを作っていくことに目標を置くべきであろう。
上記の目標を達成するために、決定的にスーダンにおいて書けているものは、臨床工学技士同士が知識を共有し、一体となってメーカー、医師、病院、保健省、社会全体に圧力をかけられるような「職能集団」の存在である。特にメーカーのサポートに関しては迅速な改善が希求される。現在スーダンで臨床工学が潜在的な問題であることを一番理解しているのは臨床工学技士である。彼らの主体的・内発的な動きなしに社会を動かすことは難しい。
J-METSは、職能集団を背景に設立されたNGOであると同時に、メーカーとは無関係に設立されたという点で、世界でも希有な存在である。よって、J-METSは職能集団の設立支援に関して的確な母体であると考えられる。さらに、J-METSの今後の支援においても職能集団をカウンターパートとすることでより大きなインパクトのある事業を展開することができるだろう。
3.2.イブンシーナ病院における高度医療支援
状況から鑑みるに仕方ないとはいえども、少なくとも臨床工学的観点において、イブンシーナ病院が立ち遅れていることは、日本にとっては由々しき事態である。先述のように、日本はイブンシーナ病院を日本の支援のシンボル的存在とし、集中的に支援を行っている。もし医学、看護学等の観点でも同様な状況であるとすれば、イブンシーナ病院の援助を通じてスーダン医療界へのトリックルダウン的効果を期待するという日本の援助戦略は立ち行かなくなる恐れがある。現状では、イブンシーナ病院に対する支援は、単に服の末端のほころびを縫うような作業になっていると言っても過言ではない。
この状況を打開する一つの案として、イブンシーナ病院における高度医療支援へのシフトを提案する。臨床工学の観点からも基本的な事項ができていない状況で高度医療支援にシフトするのは多少逆説的に聞こえるかも知れないが、戦略としては優れていると考えられる。以下にその理由を列挙する。
第一に、臨床工学の観点から基本的な事項が出来ていない理由は、前述のように、臨床工学が社会問題として顕在化していないため、及び日本の支援が逆にイブンシーナ病院の自発的な取り組みを阻害する副作用効果をもたらしたため、の二点ある。よって、イブンシーナ病院に臨床工学の基本的な支援にはそもそも構造的な問題をはらんでいるため、ベーシックな部分での効果的な支援は難しいと言える。
第二に、高度医療支援によってイブンシーナ病院を医療界の主導的病院に据えることができる。このことはイブンシーナ病院を拠点とした日本の今後の効果的な支援にも有効である上、スーダン医療界における日本のプレゼンスを高めることができ、日本の国益にも合致している。
病院との交渉という面でも、高度医療支援の代替としてベーシックな器具(ECG電極、電気メスの対極板など)の購入や、人材育成費用(臨床工学技士を日本に派遣する費用)の捻出を義務付けるという形であれば、スムーズに交渉が進むだろう。スーダン政府にも、イブンシーナ病院にも、こういった基礎的な部分の体制改善をする能力はある。ただ、今までは日本がやってくれていたため、予算も時間も割かなかったというのが現実であろうと考えられる。
4.さいごに
繰り返しになるが、本調査で明らかになった各種の問題は、イブンシーナ病院や他の謬員の怠惰や能力不足が招いた問題ではなく、むしろ彼らにとって与えられた環境下で最適な行動を取った帰結と言える。このことは、逆に言えば、環境を適切に変えてあげることにより、遙かに効果的な援助ができることを意味している。上記の戦略は一つの提案に過ぎないが、いずれにせよ、より高度な援助戦略は、スーダンにとっても日本にとっても有益であろう。


