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国際NGO / NPO法人 ロシナンテス

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スーダン情報


スーダンは、北アフリカに位置するアフリカ大陸最大の面積をもつ国です。

スーダン情報

交流事業 活動報告

宮内悠平(東京大学経済学研究科 修士課程)2010年3月
学生研修報告
2010年3月31日
東京大学経済学研究科 修士課程
宮内悠平


3月7日から3月31日まで、ロシナンテスで学生研修という形で滞在させて頂いた。滞在期間の前半は、他の学生研修者とともに、ロシナンテスの医療・地域開発事業の拠点であるガダーレフ州・シェリフハサバラ村を見学させて頂いた。後半は、日本医療機器技術支援協会(J-METS)から来られた臨床工学技士(伊藤嘉延氏、奥村友和氏)の通訳として、ハルツームでの活動に同行させていただいた。以下では、研修を通して感じ、考えたことを離散的に書き綴っていきたい。


農村部の地域開発

シェリフハサバラ村は、良くも悪くも「ドクトル・カワハラ」によって繋がっている村である。

ロシナンテス代表である川原さんの献身的活動により、村には診療所があり、医者・看護師を含めたローカル・スタッフが駐在している。井戸も整備され、人々はアトバラ川まで水を汲みにいく必要がなくなった。これにより、より清潔な水が手に入るようになっただけでなく、川に入ることで寄生する住血吸虫の被害も少なくなった。学校も建設され、村の女の子も基礎教育を受けられるようになった。そしてこれからは、母子保健事業が始まる。伝統的産婆のトレーニング、妊婦・乳幼児健診などを通して、村の人々の健康状況はより改善していくだろう。


全てが順調に見えるこの村を歩くと、「ドクトル・カワハラ」の呼び声を誰からも耳にする。どれだけ多くの事を川原さんが成し遂げてきたかが、ちょっと村を歩きまわるだけでよく分かる。それだけに、川原さんがこの村からいなくなった時のことを、どうしても想像してしまう。糸を一本引っ張るだけで全てがバラバラと崩れ落ちてしまうような不安が、頭について離れない。


 診療所のスタッフや学校の先生は、都市の出身の方が多い。村の電気もないような生活には免疫のないような方もいる。診療所の医師に村での生活について聞くと、苦笑いしながら「大変だよ」という答えが返ってきた。学校の先生は、奥さんは普段はガダーレフ市にいるそうだ。「ガダーレフに帰りたいよ。」と彼は言う。

彼らを村に引きとめるのは、川原さんの仁徳がひとつの理由にあるのは間違いない。物質的な側面でも、彼らの給料は現在ロシナンテスが払っている。川原さんが村から去った時、一体何人のスタッフが村に残るだろうか。井戸、学校、診療所は村人によって運営されていくだろうか。


「ドクトル・カワハラ」、そしてロシナンテスがシェリフハサバラ村における精神的支柱であり続けることは間違いないだろうし、そのこと自体は問題ではない。むしろ日本とスーダンとの架け橋になっているといった意味でも、良いことであろう。しかしながら、現在の依存状態がずっと続くとすれば、それはロシナンテスの足かせにしかならないだろう。

結局この問題は、日本における地域医療や地域開発の問題と構造上同じである。地域の住民が自ら大きな声をあげ、自分たちの正当な権利を政府に主張しなくては解決しない。ただ日本と異なるのは、選挙を通じて住民の声が反映されることがこれまで少なかったこと、またイスラム教の教義から現世での苦役を甘んじて受け入れてしまうこと、の2点である。

前者に関しては今後に期待するとして、問題は後者である。文化相対主義的な観点に立脚すれば、そもそもロシナンテスのような地域開発事業の正当性すら危ぶまれる。しかし、ロシナンテスのローカル・スタッフや診療所のスタッフらのように、文化の担い手でありながら、(完全にではないにせよ)内発的な動きとして地域開発の重要性に気付き始めている人もいる。

 日本人のみならず、現地の志高い学生を村に連れて行き、ハルツームやガダーレフ市内でも講演会を重ね、第2、第3の「ドクトル・カワハラ」を作っていく、そして地域文化を守りながら生活水準を向上させていけるような社会全体の流れを新たなる「ロシナンテス」と共に作りあげていくことが、今後のロシナンテスの大きな一歩となるのではないかと、勝手ながら思っている。


臨床工学から見た日本の援助

 滞在の後半では、日本から一週間スーダンに滞在された臨床工学技士の通訳として、病院・学校でのレクチャー及び病院見学に同行させて頂いた。臨床工学どころか医療に関してもド素人でありながら、医療機械の購入、管理、廃棄の体制等、専門的な知識を多少なりとも得ることができた。また、日本が設立支援をし、集中的に援助を行っているイブンシーナ病院をメインに見学させていただき、開発現場の最前線を見る事ができたという意味でも、非常に有意義な一週間であった。

 本体験によって得た教訓は主に二つある。一つは、開発現場における問題点の多くは現場の合理性により驚くほどよく説明できるということ、もう一つは、支援国、被支援国双方の立場から、高度に戦略的な開発援助が必要とされている、ということである。

 一点目に関して。異文化の論理は理解しがたい。ましてや発展途上国の論理を「原始的」だととらえてしまい、論理的な思考を放棄するのは、意識していなければ簡単に陥ってしまう過ちである。僕自身、当初は、機械の管理が十分に出来ないのは、医療後進国で慣れていなく、情報もスキルもないからであり、指導すれば良くなるだろうと考えていた。しかしながら、よくよく考えてみれば、医療機器の不整備による事故が顕在化していないような社会において、機械の管理がおろそかになるのは当然のことである。また、イブンシーナ病院に限っての話になるが、十分使い方の指導をせずに新しい機器を提供しても、その機械を使わないのは当然の帰結である。現場は「未知の論理」などではなく、驚くほど合理的に動いている。このことを意識しなくては、効果的な援助活動を行うことはできないだろう。

二点目に関して。日本は、設立時よりの協力体制から、イブンシーナ病院に集中的に医療支援を行っている。しかしながら、少なくとも臨床工学の観点からは、イブンシーナ病院は他の病院に立ち遅れている。そして、日本の支援の弊害がその理由の一つである。すなわち、設立時にタイドで導入した日本製機器のサポート体制がしっかりしていなかったり、日本が器具の支援をしてくれためスーダン政府がイブンシーナ病院に対するプライオリティを下げて他の病院に予算を割いていたり、といった事が現実に起きてしまっているのである。

現代医療における臨床工学の役割の増加を考慮すれば、イブンシーナ病院において臨床工学が足かせとなって、スーダン医療界における地位を下げていく可能性は否定できない。そうなってもなおイブンシーナ病院に支援を続けることは、物乞いにお金をあげる程度の意味しか持たない。末端をいじくるだけでは何も変わらないのだ。

この現状を変えるにはいくつか戦略がありうるだろうが、僕はイブンシーナ病院に高度医療支援を行うことが一つの案としてありうると思う。これはもともと川原さんの受け売りであるが、考えれば考えるほど現状を打開できるよい策である。イブンシーナ病院の地位を保つことができ、かつ日本の支援形態も明確にできる。病院側も飛びつくような美味しい話であるから、条件として基礎的な部分の改善の自助努力を要求しても、スムーズに事が進むだろう。


 こういった効果的な支援はスーダンにとっても重要だが、効果的な援助を行う事により日本のプレゼンスを発揮することも、同様に重要である。

 スーダンに一度でも足を踏み入れたことのある方は分かるだろうが、スーダンでの中国の圧巻ぶりには圧倒される。街中では伝統服の生地まで中国製品が並び、ホテル、ダムといった大規模なレベルまで中国資本が流入している。人々は日本製品が過去の栄光だったかのような口ぶりで語る。将来の世界の縮図を、悪い夢を見ているような気分になる。

僕は今まで援助に援助国の国益など入るべきではない、と考えていたが、スーダンに来てこの考えはまるで変わった。中国は相当高度な援助戦略をもって、50年後、100年後を見据えながら活動を行っている。日本も、日本国家で総力をあげて、日本の国益にも準ずるような効果的な援助戦略を立てなくては、いつの日かこのスーダンの現状が世界全体に蔓延してしまうのではないか。日本人として、そして世界市民として、「日本」というアイデンティティを失うのは、多様性の観点からも大きな損失だろう。


ロシナンテスの強み

 たかが一ヶ月弱滞在した僕がロシナンテスについて語るなんておこがましいことは重々承知しているが、一つだけどうしても書いておきたいことがある。それは、ロシナンテスが北九州という地域に密着して立脚するという形態をとっている点である。僕はこのような地域密着的なNGOの運営上の在り方は、非常に先駆的で効果的なNGOの運営スタイル(ビジネスモデルと言ってもよいだろう)だと考えている。

 ロシナンテスは、日本での拠点を北九州に置き、講演活動やイベントなどの活動も精力的に北九州で行っている。僕の矮小な知識と体験をもとにすれば、国際的に活動するNGOでここまで地域密着的に日本での活動を行っている団体はない。

 これは単に川原さんの郷土愛が強いから、というだけかもしれない。しかし、契機はなんであれ、ロシナンテスは北九州市に多大な貢献をしているのは厳然たる事実である。北九州市でイベントを開催すれば、全国各地から人が駆けつけ、街はにぎわい、消費も活性化される。川原さんは車に北九州市のステッカーを貼り、メディアにもアピールしている。今後ロシナンテスがこのスタイルを堅持しつづければ、北九州市はロシナンテス、スーダンという特化的な魅力を抱えることになる。前述のように、ロシナンテスやスーダンに関係する人、興味ある人の集積がおこり、経済的・文化的な活性化が期待できる。

 世の中は過度な拝金主義から人道主義へとシフトし始めている。来たる四半世紀において、価値は、環境、人権、国際開発といった道徳・利他的なものに見出されるようになるであろう。そのような時代において、北九州市がロシナンテスを抱え込むことは、前世紀において豊田市がトヨタを抱え込むのと同じくらい意味のあることだと思う。


さいごに

 スーダン大学で行った臨床工学技士のレクチャーの後に、雑然とする教室の中で、一人の若い男性が僕のところに来て言った。「あなたたちはスーダンと日本を比べ、日本はこれだけすごい国だという。日本は確かに発展していて、素晴らしい国であるけれども、スーダンも発展している。今にスーダンは変わる。」

 僕の胸の中を見透かされたかのような感覚を覚え、どきっとした。どこかで僕の頭のなかで、スーダンは日本の格下、という意識があったのかもしれない。僕はただ恥じるのみだった。それと同時に、なにか心温まるような、勇気づけられるような思いがした。生まれて初めて、「国を引っ張るリーダー」というものを見たような気がしたからだ。

 スーダンは確かに問題を多く抱える国である。長期の内戦によって国は疲弊し、今でもダルフールでは罪もない人々が殺されている。過酷な気候は清潔な水を人々から奪い、代わりに多くの疾病をもたらした。田舎では満足な教育機関もなく、南部では文盲率が85%まで上るという。

 しかし、人々の希望は潰えていない。誰もが描写するように、スーダン人は優しさにあふれている。優しさは同時に、強さでもある。あるスーダン人は、自分の貯金が7万円しかないのにも関わらず、「お前はゲストなんだから、なんでもおごってやる。金がないならおろしてくるから言ってくれ。」と僕に豪語した。また、別のある人は言った。それがスーダン人のプライドなんだと。それが無くなったら、スーダン人はスーダン人ではなくなってしまう、と。

 オリエンタリズムはこの辺にしておこう。ただ一つ、彼らの強さは、僕の足の向きを変えたようである。日本へ、そして世界へと。

更新日時: 2010年04月16日