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日本人学生研修事業

スーダン旅行記

九州大学医学部医学科 6年
本村 貴志
(06年3月17日〜22日)


2005年1月、私と川原先生との出会いはそこに遡る。当時川原先生は外務省を辞められたばかりで、イブン・シーナ病院のバーハ先生を連れて帰国された時だった。運良くその時の講演会に参加していた私は、そこで二人と出会ったのである。奇しくもその1週間前まで私はエジプト、カイロにあるアイン・シャムス大学病院で3週間実習(とは名ばかりのただの観光)しており、Arabic EnglishとTropical Medicineにいささかの親しみを覚えていた頃で、講演後のバーハ先生に稚拙な英語力で頑張って話し掛けていた所を川原先生に見初められ(?)、「お前今度スーダン来い」「はい、行きます」と、早くも私の卒業旅行が決まってしまったのである。
 道中ドバイで貧乏なりのバカンスを楽しんでいた事もあり、スーダン滞在はわずか6日という短期間であったが、これ以上はないほどの濃厚な体験をさせていただいた。以下にその感想を述べるが、それでスーダンという日本からは馴染みの薄い国が、少しでも親しみをもって見えてくるようになってくれれば幸いである。

スーダンについて記された本は、多くない。国家試験もあり、全く下準備がないままにスーダンを訪れた私たちに、川原先生は「地方巡礼」という特別コースでもてなしてくれた。
(私たちが首都カルツームに到着したとき、川原先生は既にガランナハルという村に行っており、霜田さんに迎えに来ていただいた)
到着翌朝、7時にカルツームを出発した私達は、南に200km、東に230kmほど車を走らせ、ガダーレフの街に着いた。そこから道なき道をさらに東に向かって進むと、ようやく目的地、ガランナハルの村に辿り着く。そのとき既に16時ほどであったが、川原先生はまだ長蛇の列を成す患者を相手に奮闘中であった。僕らは先生を待つ間、村の子どもたちに混じりサッカーやビー玉遊びをしていたのであるが、この子供たちというのが本当に人懐っこく、次から次へと寄ってきては、屈託のない愛らしい笑顔を見せてくれる。お互いが一日に何度でも挨拶を交わす、年齢に関係なく日が沈むまで共に遊び続ける。彼らと今の日本の子供達を比較すると、何が幸せなのか考えさせられる。どちらが良いでも悪いでもないのだが、私達は様々な利便性を得たと同時に、多くのことを失った気がしてならない。
17時を回り川原先生が私たちの元にやってきた。久しぶりの再会である、と久闊を叙す暇もなく「お前ら山登るぞ」「目の前に山があると登りたくなるんよ」。全く豪快な人である。「スーダンを俺が救う!」という気負いはあるが、生真面目一辺倒ではなく(違ったらごめんなさい)、おおらかで豪快で、この先見えない将来をむしろ楽しんでいるようでもある。
アフガンで、イラクで、どれほどの支援団体が現地に入り、今どれだけが残っているのであろうか。話題性に欠け始め、若しくは危険が迫ると去っていく、そんな団体がいくつあっただろうか。彼らによってもたらされたが、未使用のまま埃を被っている医療機器等が、いくつあるだろうか。川原先生のように気長に長いスパンで将来をぼんやりと見つめながら、地元の人々と積極的に交わっていける人こそが、これらの現状を変えてくれる気がしてならない。
山から降りると、村の長であるハーディさんが首を長くして私たちの帰りを待っていた。昼食(*スーダンでは11時頃が朝食、夕方遅くに昼食、夜9時頃に夕食といった具合である)を用意してくれていたのである。このように、スーダンでは村を訪ねると必ずもてなしを受ける。この先4日間、私達はドカ、ハワータ、バーズーラ、そしてガダーレフの保健省と、様々な村とその病院を巡回して回ったが、どこでも私たちを快くもてなしてくれ、体重増加と血糖値上昇を考えさせられるほどであった。以前私は長野県にある南相木村という無医村の診療所を訪ねたことがあったが、そこでも村のお婆たちからやたらとお茶と食事を振舞っていただき、常に満腹だった記憶がある。日本も、少し前まではどこもこうだったのだろうか。スーダンに、日本の古きよき時代を見た気がする。ちなみにこの日の夕食(わずか2時間後であったが)もハーディさんの家に招かれ、「スーダンの地方の村では最大限の」おもてなしを戴いた。
次の日はドカの病院に薬を取りに行き、さらに翌日は川原先生も初めての、ハワダとバーズーラという2つの村を訪ねた。ハワータでは先ず役所で挨拶を済ませた後に病院を視察。そうすることで役人の面子も保たれるし、後々行動がしやすいそうだ。NGOロシナンテスはまだ産声を上げたばかりであり、このような下済みがまだまだ必要であるが、こうした人と人、そしてコミュニティーとのつながりが、将来大きな成功へとつながるはずである。事実、ハワータ病院のドクターはかなり篤い方で、川原先生が活動の一環として進められている母子手帳の普及について、かなり前向きに検討してくれそうであった。前述した事と重なるが、本当の支援と言うものは一方通行では短命(使えない医療機器を寄付しても埃を被るだけであるし、資金援助も無くなれば終わりである)で、被支援者の中に深く交わり、彼らとの共同作業で実現していくことが大切だと思う。カルツームに戻る途中にガダーレフの医学校を訪ねたが、多くの医学生から「日本の医学教育事情を教えてくれ」「是非日本へ行ってみたい」「いつの日か交換留学など、日本とスーダンが協力して医療を発展していきたい」といったことを言われた。是非とも実現したいことであるし、ロシナンテスはその掛け橋になると信じて止まない。そして私もその一端を担う事ができれば、と切に願う。
カルツームに戻って最終日、私たちは裕美さんが教鞭をとる小学校を訪ねた。最初は小遠足に同行し、一緒にサッカーを。その後学校に戻り、授業参観をさせていただいた。ガラル・ナハルの村の子供たちであっても、カルツームの子供たちであっても、そしておそらくは世界中どこの国の子供たちであっても、彼ら彼女らの笑顔は同じ、純真で美しい。(アフガンの子供の中には、笑顔というものがわからない子がいるという話を聞いたことがあるが・・・。笑ったことが、笑えるような楽しかったことがないからだ。おぞましい)。 この日の午後はイブン・シーナ病院へ。バーハ先生と1年以上ぶりの再会である。時間がなく、消化管出血専門の検査棟しか見学できなかったが。

最後に裕美さんの家でお茶をご馳走になり空港へ。とにかく駆け足の6日間であった。しかしこの6日間でたくさんの人々との出会いがあり、その一つ一つが大切な宝物である。カルツームの小学校で交わした「必ずまた来るからね」という約束を果たすためだけでも、私は将来再びこの国の地を踏みたい。今度は医師として、少しでも力になれれば、と思う。

以上駄文を重ねてきたが、百聞は一見にしかず、是非とも自分の目でスーダンという国を見つめて欲しいと思う。個性豊かなロシナンテスの方々が、きっと歓迎してくれるはず。
最後になりましたが、川原先生はじめロシナンテスの方々には大変お世話になり、この場を借りて厚くお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。 

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