
スーダン滞在記
一橋大学大学院
小沼 大地
青年海外協力隊としてシリアで活動し、なんとか片言のアラビア語ができるようになった僕。同じアラビア語を母語とするスーダンというアフリカの未知の国には、前から何となく憧れを抱いていた。そして、ひょんなことからロシナンテスのホームページに遭遇し、僕のスーダン訪問のモチベーションは一気に上がったのだった。でも、医学生でも何でもない自分に一体何ができるのか。正直、不安な気持ちで一杯だった。
「それでも、この面白そうな組織に身を投じて何かを一緒にやってみたい!」
そんな想いだけで思い切ってロシナンテスの門を叩いたのが2007年の3月初旬、大学院最後の春休みだった。
スーダンの首都ハルツームの空港を降りると、怪しいアラブ風の格好をした九州男児たちが僕を迎えてくれた。
「お前アラビア語できるっちゃろ、期待しとんぞ!」
いきなりそう声をかけてくれたのが、ロシナンテス代表の川原尚行先生だった。ホームページを見て以来、僕がずっと憧れていた人だ。正直、予想以上に豪快な人柄にかなり圧倒された。その後案内された事務所兼住居も、雰囲気や散らかり具合はまさに部室そのもの。とにかく男クサいのだ。僕自身もずっと体育会系だったけど、高校の部活そのままの環境で働いている人がこの世界にいるとはさすがに思わなかった。とにかく、本当に驚いた。
でも、もっと驚いたのは、ロシナンテスの活動するシェリフハサボラ村の環境だった。僕は今回1週間ほど村に滞在したわけだが、とにかく衝撃的な光景を沢山目にした。何もないってわけではないけど、とにかくモノが貴重な世界。夜になると村に数個しかないテレビにワラワラと人が群がり、分かりもしないガイコクの映像をみんなで楽しむ。そして、発電機が止まると、みな家路に着いていく。川原先生いわく、この村では「そんなんがたまらなくオモロイ」のだ。
さて、僕は簡単な通訳として10日間ほど先生の横で診療を見させてもらったのだが、正直な感想は、国際医療の現場はそんなに格好いいものじゃないってことだった。村人たちは日本から来たお医者様にありとあらゆる期待をして、 診療時間外にさえ次々と押しかけてくる。「大至急来てくれ!大変だ!」夜中にそう言われて駆けつけても全然大したことない、そんなことは日常茶飯事。イライラすることが多いし、とにかくストレスが溜まる現場だ。それでも一日に数人は必ず運ばれてくるマラリアなどの重症患者のため、川原先生は辛抱強く治療を続ける。事務所から片道6時間のハードな道のりを自分で運転して、先生は診療を続けるのだ。
この原動力になってるものが何なのか。ロシナンテスの活動を見学していた10日間、僕はずっとそのことを考えていた。もちろんその答えは先生にしか分からない。でも、先生の活動をすぐそばで見させて頂いて、少しだけ先生の考え方が分かった気がした。
電気もなく、水道もない村。
子供たちはみんな裸足だし、着てる服も汚い。
住環境や衛生面もかなりヒドい。
どこかの機関がデータを取ったら間違いなく「貧困に苦しむ村」だろうし、メディアが取材したら「かわいそうなアフリカの人々」ってなるのかもしれない。でも、先生の目に映ってる村人たちの姿はきっと違う。泥臭いけど、でも幸せに、家族や友人に囲まれて暮らしてる人々の姿が先生には見えてるんだと思う。日本人がどこかで失ってしまった「何か」を持ってる人たちだと先生は知っていて、だからこそスーダンの人たちとの生活を心から楽しみ、そこから色んなものを学んでるんじゃないだろうか。
「援助」という言葉が嫌いだと言う先生は、いつもこう言っていた。
「俺はスーダンの人たちと一緒に転がっていきたいだけなんよ」
恥ずかしながら、僕自身も将来は先生のように自分で組織を立ち上げたいと思っている。今回の滞在を経て、組織を作りあげることの大変さ、そして困難に負けない情熱や想いを持ち続けることの凄まじさを実感した。そしてまた同時に、周りの人たちに希望やパワーを与えられるような組織を作ってみたい、その気持ちがまた強くなった。川原さんという目指すべきリーダー、そしてロシナンテスという熱い集団に出会えたことが、僕のスーダン滞在の最大の収穫だった。
なんだか川原先生の話を中心に書いてしまいましたが、今回の滞在ではロシナンテスに関わる沢山の人たちに本当にお世話になりました。霜田さんにはご迷惑をかけ続け、矢野先生にはいつもお世話になりっ放し、そして竹友さんにはお忙しいところ無理ばかり言ってしまいました。また、シェリフハサボラ村の酋長ハッサンには寝床と食事を提供してもらい、それに沢山の大切なことを教えてもらいました。本当に、全ての人に感謝です。どうもありがとうございました。