
国際協力の限界を超えて
〜SUDANというこの愛らしい国とロシナンテス〜
群馬大学医学科4年
柴田 綾子
小医は病を治し、中医は人を癒し、大医は国を治すという。だとすれば川原尚行医師は間違いなく大医だ。たった9日間であったが、私は日本からはるか遠いここスーダンで川原医師が国を創っているのを見た。彼は村に診療所を興し、酋長を動かし、保健省と州政府を巻き込んだ。村にソーラー発電で電気を引き、雨水のため池を作り、ケナフを植えた。
夜になれば月明かりで生活し、風呂の代わりにバケツの水を浴びる。
人々と同じボウルで食事を分け合い、皆で作った藁葺きの小屋で寝泊りした。
「民の中に入り、民と共に生きる」。川原先生の生活そのものであった。
そこには「援助者と助けを請うもの」という構造は皆無であった。
なぜならお互いは仲間であったから。
川原先生は医師であり、村のサポーターであり、Fund raiserであり、そして何よりもまず、村人の一人であった。村人は援助されるべき可哀想な人々ではなく、友人であり、よきブレーンであり、そして仲間であった。
SUDAN。この愛すべき国は日本以上に日本であった。はるか遠くのイスラム教の国。民族紛争と宗教争い。貧しく凶暴な国というイメージ。これらは全くの誤解であった。
日本人以上に日本人らしい人々がここにはいた。目が合えばニカッっと笑い手を振る人々、行く先々であった握手攻め、シャイな女性人達、譲り合いの精神。
ヤギのミルクは飲み干す前に必ずお替りが注ぎ足され、食事ではもっと食えと皆から促された。
アラビア語は全く分からなかった。イスラム教徒であるわけもなかった。
しかし、そんなことは全く困らなかった。
イスラム教徒は恐ろしくなかった。
アフリカ人は凶暴ではなかった。
皆、私と同じ人間であった。
同じように感じ、同じ様に考える人々だった。
穏やかにお祈りをし、白い歯を見せて大声で笑う黒い肌の人々。
これが本来のスーダン人であった。
貧困が人を変え、戦争が人を壊したのであった。
穏やかだった生活が争いによって突然めちゃめちゃにされ、
やさしかった人々が殺し合いを強制されてしまったのだった。
ロシナンテス。人々が笑いあい、信頼関係で繋がった空間がここにはあった。
「あなたと私」、その関係に正直に敬いを持って接すること。地球上のどこに行っても、これだけだと気付かされた。肌の色も宗教の違いも、言葉の不自由さえも関係なかった。同じものを見て笑い、お互いを見比べて笑った。
酋長のハサンは、この村を町にしたいと夢を語った。通訳のムハメドは小産業の導入や女性の環境向上の必要性を語った。保健士のムスタファは今年、畑に挑戦する。
今までずっと代わり栄えの無かった村に変化が起きた。将来について考え、少しずつ目標をもった。少しずつ、一歩ずつだけれども村が動き出していた。
ロシナンテスのもと、川原先生、スタッフの方、友人、仲間、村人、スーダンの人々から色々なことを学んだ。
日本で考えていた国際協力の理論や小難しい援助の手法は、ここに来て全て吹っ飛んだ。
全ての基礎は単純なコミュニケーションであり、人と人との繋がりであった。
動力は正義感や義務論ではなかった。皆、楽しんでいた。 楽しかった。
国際協力は楽しく正しくやるべし、そんな哲学を見た気がした。
ロシナンテス、スーダンでの生活は本当に楽しかった。
このような貴重な体験をくださった、川原先生、ロシナンテスのスタッフ・ご友人の皆様、
本当にありがとうございました。
ロシナンテス塾のもと、本当に色々なことを経験し、考え、学ぶことができました。
今後、ロシナンテス塾生として日々精進し、将来お手伝いができる様、どこかで一緒にお仕事をさせていただけるように頑張ります!!
2007/08/04 みなで新作オクラ料理を食べた夜 スーダンロシナンテス事務所にて