
現実味
九州大学法学部3年
沖 祐太郎
スーダンでの全日程を過ごし終わる今にして思えば、医学生でも看護学生でもない自分が、ロシナンテスさんと連絡をとりスーダンを訪問させていただいた理由は、「現実味」を感じるためだったのだろうと思います。私は、エジプトに留学し、その後も大学の春期休暇などを利用し、アラビア語やエジプト人・アラブ人の文化、伝統、考え方などに触れ、学んできたつもりでした。しかし、カイロという町に魅了され、エジプトという国にはまっていくにつれ、アラブというものや、それを取り巻く世界などが見えなくなってしまっていました。そんな中、福岡で川原さんとお会いする機会を得た際、スーダンという国を見る事で自分の視野を再構築し、「現実」をありのまま見る事ができるようになりたいという強い衝動を自分の中に感じました。
今回、スーダンには7日間しか滞在できませんでしたが、あっという間に過ぎ去った7日間でしたが、この日々を思い返そうとしてみると、本当に7日間かと疑うほど内容の濃いものでした。特に、診療所のあるハサバラ村で過ごさせていただいた3日間は、考えさせられることも、感じるところも多く、村からハルツームへ戻った後も、頭は村と町の道半ばを、心は村をさまよい続けているようでした。
村には、電気も水道もなく、当然道だって舗装などされていず、雨が降ると一面ぬかるんでいました。そして思わず息を呑むような空と景色がありました。1日目の夜は、空が曇っていたため完全な闇夜、2日目の夜は、夕方19時頃に黄金色の夕焼けを迎えた後、突然の嵐、心が洗われるようでした。
診療所においては、診察もさることながら、私が最も興味をひかれたのは、村での「診察というシステム」そのものでした。患者さんは病院に入ってきたところで診察料を払い、診察室に行く。診察室には、ちゃんと順番に入る。診察を受けたら、薬を受け取る人は薬代を払い、薬を受け取り、部屋から出る。診察の後、検査が必要な人は、検査室へ行く、点滴などを受ける人もまた別室へ。あまりにも当たり前に思えるこの一連の流れが、なかなか上手くいきません。特に、「お金を払って」というところでつっかかる事が多いようです。「診察代を払いたくない」、「お金は後でもってくる」、「お金がない」などというのが彼らの言い分でした、診療所にいらっしゃる患者さんの中で本当にお金がない人は、ほとんどいないそうです。受付で彼らの対応をするスーダン人スタッフ・ムハンマドの仕事の大変さを強く感じました。しかし、この役は言葉の問題を度外視しても、日本人などがやるよりもスーダン人である彼がやったほうがいいのだろうとも感じました。
きっと村での先生の診察は、診療所内のみに留まるわけではなく、そこから形を伴わない姿で患者さんを通し、村全体へ、そして隣村へ、ひいてはスーダン全体へ届くものなのでは、そうなり得るものなのではないでしょうか。こう考えた時、自分の中で何かが変わりました。情けない事に何がどう変わったのか、今の自分にはまだ良くわかりません。ただ、このとき以来さまざまな事が違う角度で見える気がします。今後、今のこの感覚を大事に育て、きっといつかまたスーダンへ戻って来たいと思います。
最後になりましたが、川原先生、霜田さん、竹友さん、繁さん、ムハンマドさん、ラビーアさん、ハサンさん、スーダンで会った皆さん一週間という短い期間ではありましたが、大変お世話になりました、本当にありがとうございます。また、スーダン行きに際して、様々な協力をしてくださったみなさん、本当にありがとうございます。