特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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ザンビア2025.06.16

ザンビアのお葬式に参列して

ロシナンテスの活動地の一つ、中央州チサンバ郡でお世話になっているチーフ・チャムカの妹リリアンさんが亡くなったとの連絡を受け、式に参列しお別れを伝えてきました。今回はその時の様子をお伝えします。

お別れの挨拶に向かう人々

チャムカさんはこの地域に住むレンジェ族の伝統的な首長(チーフ)です。ザンビアの村落部では、こうした地域の長が強い権限を有していることが多く、この地域で支援活動を行うロシナンテスも普段から大変お世話になっています。その首長の妹さんの葬儀ということで、急ぎ駆けつけることになりました。

チサンバ郡は、首都から車で3時間程度走ったところにある地域です。半分は舗装された道路、半分は砂埃舞うオフロードを進む道中は、とうもろこし畑や牧場など、青い空をバックにとても広大な風景が続きます。時折歩いて移動する人々にも遭遇し、学校帰りの子どもたちは元気に手を振ってくれました。

讃美歌が響く中での葬儀

ザンビアでは国民の80%近くがキリスト教を信仰していると言われますが、ここもキリスト教徒の多い地域です。私たちが到着した時には、チーフ・チャムカの自宅近くの教会に続々と人が集まってきていました。トップスを白色で統一した聖歌隊と思われる人たちが力強く歌いあげる讃美歌が響いています。教会の奥に張られた大型テントの下には椅子が並べられ、セレモニー会場となっているようです。周囲の木の下では、郡内のあちこちから集まってきた女性たちが各々始まりを待っています。いったい、何人の人がいるのでしょうか。

教会の外に集まる人々

私たちはまずセレモニー会場の中央にいらっしゃるチーフ・チャムカにご挨拶に伺いました。チーフの前で跪き、小鳥を包むような形で両手を3回ほど合わせます。敬意を表す挨拶の仕方です。チーフは私たちに「よく来てくれた」と少し微笑んで、最前列の上等なソファーに案内してくれました。

葬儀がどういった手順で行われるのか、事前情報がほとんどない中、開始を待ちます。会場内のあちこちから静かな泣き声が聞こえてきます。しばらくして人々が起立すると、讃美歌とともに白い棺が多くの女性たちに担がれ運ばれてきます。そして棺台の周りで待っていた男性たちに引き渡され、セレモニー会場の中央に設置されました。

お祈りが始まります。神父が英語で説教をし、通訳の人が現地の言葉で伝えます。どんどん力が入り、どちらも熱弁になっていく様子は迫力がありました。

お祈りの後は、多くの方の弔辞が続きます。子供を残しての旅立ち、どれだけ無念だったことかと思うとこちらまで涙が溢れてきます。

我々は家族なのだから

最後はチーフ・チャムカの弔辞です。

1983年生まれのリリアンさんには5人の子どもがいます。彼女は数年前から腎臓を患い、週2回透析に通う必要があったそうです。病院までの交通費・治療代・薬代と家計は苦しく、夫の収入だけで5人の子どもたちを育てることは難しく、3番目の子どものレイチェルさんは金銭的な問題で高等学校に行くことができていないということでした。ママが大好きで、心配でそばを離れることができず、リリアンさんが亡くなってからは食事も取れなくなってしまったそうです。「娘は学校に行きたいけれど、行かせてあげることができていない」「どうかこのレイチェルを学校に行かせてほしい」という言葉がリリアンの遺言でした。

チーフ・チャムカは言います。「学校に行けば、彼女は何にだってなれる可能性が広がる。医者にだって、看護士にだって、大臣にだって……夢は広がる。学校に行かれなければ、何もできず終わるだけ。みんなでこの子が学校に行けるようにサポートしよう。我々は家族なのだから」その訴えに参列者の「yes」の声。レイチェルの目には涙が浮かんでいました。素晴らしい、そして力強いチーフの言葉に心が震えました。

この短い人生を有効に

弔辞は聖書の引用で締めくくられました。

「人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。風がその上に吹けば、消え失せ生えていたところを知る者もなくなる」「人生は短い、この短い人生を有効に」

最後は、参列者が棺のところに行き、リリアンさんにお別れを伝えます。讃美歌が響く中、それまで我慢していた人々も涙をこらえきれずにいる様子が見えます。

お別れの挨拶に向かう人々

私たちもその列に加わり、お別れのご挨拶をさせていただきました。そしてわずかですが、レイチェルさんが学校に行くことができるよう寄付をしてきました。

リリアンさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

アフリカは日本に比べると死が身近ではありますが、日本でもアフリカでもそれぞれに与えられた命は尊く、貴重なものである。命の誕生は喜ばしい、命の終わりは悲しい。違いがあるはずがないことを改めて実感しました。

裏にはかまどから煙が上がる別世界が

猛省しながら、ふと奥の方に目をやると、煙が上がっているのが見えます。

覗いてみると、葬儀とは全く別の世界が広がっていました。そこには忙しそうに食事の準備を行う人たちがいました。まず目についたのは、ドラム缶でのシマ作り。シマはとうもろこしの粉に水を入れて炊き上げて作る、ザンビアで愛される主食です。男性4人がドラム缶いっぱいに入ったシマの粉と水を火にかけた状態で混ぜています。案内してくれた男性に「シマはいつも男性が作るの?」と尋ねると「いや、普段は女性が作るよ」とのこと。要領の良くない男性陣を見かねて、途中からは炊事場のリーダーと思われる女性が現れ混ぜ始めました。

シマづくりに長けた女性

腰の入り方がまるで違っていて、日本の餅つきを見るかのようです。彼女はあちらこちらへ周り、料理の進み具合のチェックをしているようです。鶏を捌く人、煮る人、野菜を煮る人などたくさんの人が食事の準備をしていました。

みんなで協力して食事を作る

昔は日本でもよく見られた光景ではないでしょうか。現在の日本でも、葬儀で近所の人が集まり、食事の準備をしている地域もありますね。

悲しみに打ちひしがれている人たちを支えるように、食事の準備を行う人たちが集まり、故人を良い形でお見送りできるよう支え合います。チーフ・チャムカは繰り返し、「我々は家族だ」という言葉を言っていました。家族だから、助け合って当然だと。

チーフ・チャムカの言葉や村の人々の様子を通して、チーフに対する畏敬の念がより強くなり、地域の共同体としての結びつきの素晴らしさも感じることができました。日本では、コミュニティの力が低下していると指摘されますが、今のアフリカに学ぶことも多いと思いました。