特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

ロシナンテスからの活動情報をご案内します。

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川原ブログ2017.09.10

事務局長 星野のスーダン渡航

2016年4月より、ロシナンテス3代目の事務局長に星野賢一郎が就任しています。熊本地震への対応、北九州でのインターン制度の開始、ロシナンテス主催での活動報告会(東京・北九州)など精力的に事務局の運営を行ってきております。今年の7月に、星野がスーダンへ初めて訪問しましたので、今回はそのご報告をさせていただきます。

ロシナンテス初代事務局長の海原六郎君、その次の大嶋一馬君ともに複数回スーダンを訪問しています。我々の事業の視察を行うと同時に、当地のイスラム文化にも馴染むようになり、スーダン事務所と日本事務局とがより円滑に仕事ができるようになりました。

現在もスーダンと日本の意思疎通のために、連日インターネットを使用した電話をしていますが、それでも現場を見ないとなかなか事情を把握できないことも多く、星野の今回のスーダン事業視察に至りました。

夕刻の到着で、我々にとっては若干気温が下がった感じでしたが、日本とはまた別の暑さがあります。星野にとっては暑さの洗礼だったようです。現地スタッフのラビアが気を利かし、自宅でスーダン料理を用意してくれました。クレープを発酵させたような味のキスラとヨーグルトサラダという、少し日本人にはハードルが高いスーダン料理での歓迎でした。長時間フライトの疲れもあったのか大変そうでしたが、ラビアが笑顔で出してくれた大盛のキスラを星野は見事に平らげていました。

現地駐在員の渡邊、田才、それに私と男所帯に星野も加わり、いっそう汗臭さが増す宿舎でしたが、そこでロシナンテスの今後に関して尽きない話を深夜まで行い、翌日早朝からはフィールドへ行くという日々を過ごしました。

フィールド訪問では、皆様からのご支援で建設できた診療所のあるアルセレリア村へ行きました。舗装道から外れてオフロードをひた走り、2時間以上かけて現場にたどり着きます。アルセレリア村では現在進行中の給水所の建設現場にも行き、進行状況を共有しました。また、村の人がふるまってくれる食事やお茶をいただき、スーダンの文化にも親しんでもらいました。

ハルツーム州保健省や巡回診療を行う我々のカウンターパートである地域保健局での話し合いにも参加してもらいました。5月にハルツーム州保健省のスタッフを日本研修に連れてきていましたので、星野とも顔見知りで、笑顔で挨拶をしていました。ちょうど星野の渡航中に、彼らの日本研修に関しての報告会がハルツーム州保健省内で開かれました。保健省のスタッフ以外に、スーダンのNGOのスタッフなど、我々の予想を超える多くの人に来てもらいました。研修生は長野県の佐久総合病院での地域医療、北九州の済生会八幡病院、福祉松快園、西野病院、くれたけ荘での介護の現場の視察を行い、その様子を発表していました。この詳細については、渡邊が以前ブログでご報告させていただいておりますので、そちらをご覧下さい。

https://www.rocinantes.org/blog/2017/08/study/

最終日は、ラビアがご両親の住む実家で食事会を開いてくれました。羊を屠り、スーダンのご馳走がずらっと並びました。ラビアには、最初から最後まで本当にお世話になりました。ご主人のモハメドも一緒で、昔懐かしい話で盛り上がりました。彼ら夫婦は、ロシナンテスで一緒に仕事をした経験があります。モハメドは、今はロシナンテスのスタッフではありませんが、いつもサポートしてもらっています。

10月には、私が帰国して東京と北九州で、上記のことも含めて活動報告会を行う予定です。皆様と日本でお会いできますことを今から楽しみにしております。(活動報告会についてはこちらに記載しております)

スーダンを経験した星野と共に頑張って参りますので、今後とも、どうぞロシナンテスのご支援をよろしくお願い申し上げます。

川原ブログ2017.02.27

スーダン保健省スタッフの沖縄研修

スーダンの連邦保健省から13名の方々が、JICA 沖縄で研修をしています。

沖縄が以前に行っていた離島への駐在看護師制度で、彼らがどのようにして地域医療を担い、島民の健康管理をしてきたのかを学んでいました。

沖縄での課題(離島医療、人材不足、感染症など)に対して、対策をどう行ってきて、現状がどうなっているのかをスーダン人の目で見て考えることができたようです。

 

この学びをスーダンの地域医療にどう組み込んでいくのかが、今後の課題です。

私もスーダンに戻ったら連邦保健省に行き、彼らと話をしていきたいです。

この沖縄から学ぶ企画を進めているJICA 本部の萩野明子さん、JICA スーダンの雨宮さん、私を受け入れて下さったJICA沖縄の皆様、ありがとうございました。

川原ブログ2017.02.08

北コルドファン州栄養改善事業

検査を待つ親子①

 

北コルドファン州での栄養改善事業ですが、
WFP、 スーダンのNGOであるSIDO(サイド)、北コルドファン州の保健省、さらに住民のボランティアの方々との共同で行われています。
5歳以下の乳幼児、妊産婦の上腕周囲を計測することにより、栄養状態をチェックします。栄養状態が悪いと判断されれば、入院または通院で栄養補助剤の投与を行います。

 

乳幼児の腕の太さを測定中

 

この計測の際に使用されるのが、MUAC(上腕周囲径測定帯)というメジャーです。
MUACを使って上腕の周囲を測定することで、乳幼児や妊産婦の栄養状態を素早く簡易的に分析でき、栄養不良が確認された場合はすぐに妥当な診療をすることができるのです。

 

MUAC(上腕周囲径測定帯)

 

結果は「レッドゾーン」。
(赤い色は栄養不良の可能性がある危険な状態を示します)

 

検査の結果、栄養補助食品を処方され補給している子ども

 

北コルドファン州保健省では、我々が行っている事業で随分と栄養改善が進んだと評価してくれました。
さらに、広い地区を対象にこの事業を拡大して欲しいとの依頼を受けました。
この地域はアクセスがとても悪く、オフロードを2時間以上ランドクルーザーを走らさないといけません。

 

北コルドファン州へ続くオフロード

 

オフロードでは、砂地が柔らかく滑りやすいので
あえてタイヤの空気圧を下げて走行します

 

 

ロシナンテスが行っているハルツーム州の巡回診療よりも過酷な環境です。しかし、巡回でのワクチン接種や栄養改善事業を、北コルドファン州は拡張したいようです。
さらに水のアクセスがとても悪いようで、地域住民、北コルドファン州政府からも水の開発が一番の問題とのことでした。
さらに、教育のことや医療のことなど多岐にわたり話し合いを行ってきました。
ロシナンテスは北コルドファン州での栄養改善事業を継続するともに、今後何ができるのかを考えていきたいと思います。

 

 

川原尚行

川原ブログ2017.02.02

米国大統領令へのスーダンの反応

米国のトランプ大統領が、スーダンを含む中東アフリカ7カ国の、米国への入国を制限する大統領令を発したことで、混乱を来たしているようですが、現在のスーダンでの様子をお伝えします。
スーダンの街の様子は、いつもと変わりなく淡々としています。

 

いつもと変わらず穏やかに流れるナイル川

いつもと変わらず穏やかに流れるナイル川

 

私の友人に、今回の米国の大統領令のことを聞くと、うつむきながら、
「スーダンは前からテロ支援国家に指定されているので、いろんな制限を受けている。現在のスーダンの政権が変わらない限り難しい状態は続くよ」と答えてくれました。

 

その通りで、スーダンは、以前よりテロ支援国家に指定され続けています。
しかし、昨今のニュースを見る限りスーダンではテロは起きていません。
また、スーダン人が関わったようなテロも見ることはありません。
過去に、オサマ・ビン・ラーディンがスーダンに潜伏していたことはありますが、その後、スーダンから国外追放になっています。
ビン・ラーディンがテロに関わっていたことは周知のことですが、ニューヨークでのテロが起こったのは彼がスーダンを国外追放になってからです。
それが根底にあるのか、南スーダンの独立を認めても、まだテロ支援国家に指定されたままです。

上空から見たスーダンの街

上空から見たスーダンの街

そのような中、米国にいるスーダン人は、少なくありません。
私のスーダンの友人の家族も米国にいるのですが、今後家族とどう会うのか、頭を抱えています。
スーダンから米国へは渡航できませんし、米国にいるスーダンの人がスーダンに里帰りした後に、米国に再入国できるのか不明だからです。
スーダンは、家族の絆がとても強いです。
日本では、「便りのないのは良い知らせ」とも言われますが、スーダンの人たちはインターネット電話などを通じて、海外の家族とも日頃から連絡を取り合っています。
そして、スーダンの人たちは、イスラムの祝祭日には、日本の正月やお盆のように故郷に戻って、家族との時間を楽しみます。
それが現状では困難になっていることに、大きな不安を抱えています。

 

また、スーダン人の医師が、米国で高度医療の研修をするように計画していましたが、延期にせざるをえませんでした。
スーダン人国籍の米国にいる医師が、サウジアラビアから米国に帰国しようとして、入国を拒否されたという報道もありました。

 

私の周囲の日本人で、戦前のイラクやシリアに渡航経験のある人は、「当時のイラクやシリアの人たちは、スーダン人のように皆優しく、治安もとても安定していた。」と言っています。
スーダンにも、現在多くのシリア難民が入ってきています。
シリア人と話す機会もありますが、現在の報道以上に現場は惨憺たるものだそうです。
スーダンがシリアのようになる可能性は、悲しいことに完全には否定できません。

 

3

 

この写真のように、スーダンの人たちの温かい微笑みを見ると、戦乱にならないことを祈るのみです。
そのためにも、我々は、ここスーダンで踏ん張り、地域医療に貢献していきたいと思います。

 

川原尚行
川原ブログ2017.01.24

スーダン首都でのマラソン大会

いつも、ロシナンテスを応援して下さり、誠にありがとうございます。
 先週の土曜日にハルツームでマラソン大会がありました。
マラソン4
いつものように快晴の中、主催者発表で1,600名の参加(実際はもっと少なかった感じです)、80%がスーダン人で、20%が外国人でした。
 マラソン1
青年海外協力隊や難民を助ける会のスタッフなど、多くの日本人の参加者がありました。
スタート地点は、青ナイル川にかかる新しい橋(マンシーア・ブリッジ)の近くです。
スタートしてから、しばらく青ナイル川沿いにナイルストリートを走り、右に折れ、60番ストリートを南下します。
マラソン3
このマンシーア・ブリッジ、ナイルストリート、それに60番ストリートは全て、内戦終了後にできたものです。
私がスーダンに初めて来たのが、2002年。
内戦の最中でした。
夜間外出禁止令が出ていて、ナイルに架かる橋を渡る時は車のヘッドライトを消さなければいけませんでした。
敵に攻撃されるのを防ぐためのようです。
国の予算の大部分は戦費に使われ、医療はもとより、道路の整備など、ほとんど進んでいない時代でした。
内戦後、ナイル川沿いに新しい道が作られ、その沿道にカフェ(と言ってもお茶屋さんの域を出ませんが)が並び、夜になると家族連れや、最近ではカップルなどでも大変賑わっています。
そして、マラソン大会の開催です。
スーダンの若い女性の参加者もいます。
私の見たイスラムの世界では、女性が走るなんて、ほとんど見かけなかったものです。
なんと、平和なスーダンになったのでしょう!と、感じられるマラソン大会でした。
スタート地点に参加者が集まりますが、なかなか号砲が鳴りません。
先頭の方で写真撮影があっているようです。
期待していた号砲はならずに、静かにスタート。
マラソン4
私は後方地点から、ゆっくりとスタートを切りますが、そのうちにマジに走る若者についていきたくなり、いつもを上回るペースで走ってしまいます。
9時半くらいにスタートでしたので、太陽はすでに高い位置にあり、気温もぐんぐんと上昇。
30度は超えていたでしょう。
沿道には、警官も出て、警備をしていますが、そんなのもお構いなしに普通に車が何台も参加者が走る横を過ぎ去っていきます。
自分の安全は、自分で守る!という基本に忠実であらねばなりません。
途中でチェックポイントが何箇所かあり、色札のついた輪ゴムを渡されます。
ズルをして、車で移動する人を除外するためでしょうか、一生懸命に運営しているのがわかります。
給水所もあり、水を飲んだり、頭からかぶったりしました。
走り終われば、6キロの距離でした。
ロシナンテスのスタッフの渡邊、他の日本人の方々も無事に走りきりって、笑顔で終了しました。
マラソン5
主催者の話によると半年に一度の割合でマラソン大会を開催したいそうです。
マラソン大会が継続するように、平和が続くことを祈っています。