特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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日本での活動2012.03.28

被災地へ、再び

東北に入りました。
3月11日は、スーダンにいましたから、壱年を経過してから初めての被災地入りです。
今回は、春休みということもあり、小学校の先生をしている家内と小学生の娘を連れてきました。
私が、診療をしていて仲の良くなったこちらの小学生と我が家の娘とが遊んでいます。
私が東北にいるときに、何度か電話で話をさせたことがありますが、今回は初めての顔合わせです。
仮設住宅の裏にある小さな山に二人で遊びに行っています。
前夜、そのお兄ちゃんがロッシーハウスにやってきました。
中学1年です。
このご家族とは、本当に親しくさせてもらっており、私の家族をいつかは紹介したいと思っており
それが実現しました。
中学生のお兄ちゃんが、報道写真を見て、当時のことを話をしてきます。
ちょうど、灘高校の生徒さんが10名程度ボランティアで来ていましたので、高校生を集めて
直接、中学生が当時の話をすることとなりました。
「あの日、学校が終わって、日和山公園で遊ぶ予定だったのが、
学校の行事の影響で、6時間目まであり、学校に文句を言っていました。でも、5時間目で終わっていたら、僕の命はありませんでした。
学校にいるときに地震があり、津波が来るとの予報があり、みんなで学校の3階に上がりました。
しかし、津波の到達時間がきても、実際に津波が来ないので、体育館に移動しました。
僕は、体育館でも2階部分に上がるべきだと思い、そのように周囲の大人の方に言いましたが、
その大人の方は「もしもの時が来たらね」と言われました。でも「もしも」って、今じゃ何のかなと思いました。
そしたら、すぐに津波がやってきたとの声が上がり、みんなで非常用階段を使って屋上へ避難することになりました。
すごい混乱を生じて、階段に殺到することとなりました。僕は最後の方で、近くの階段が人でいっぱいだったので、
遠くの階段に走っていきました。すぐそこに、津波が迫ってきていました。かろうじて、津波に襲われることなく階段を上がることが出来ました。
屋上で津波が町を襲う様子を見ていました。その夜、プロパンガスの爆発する音が何回もしました。そして炎が至る所で見られました。
教室の中では、ぐったりとして寒さの中でも寝ている人がいましたが、僕は一睡もできませんでした。
車の中に、あらぬ格好で長靴が見えていましたが、それがしばらくたって子供の長靴であることがわかりました。
きっと、お母さんが小さな子供を車に残して、お兄ちゃんか、お姉ちゃんを迎えに行って、津波に襲われたのだと思います」
そこまで話して、下を向いてしまいました。
思い出すこと自体が、辛いことなのでしょう。
しばらくたって、別の話になりました。
「僕は、自衛隊の方々に感謝しています。自分の目の前でもそうでしたし、テレビでも自衛隊の特集をやっていました。
僕は、大きくなったら、お世話になったことへの感謝の気持ちで、自衛隊で働きたいです」
あのときから、一年が経過しました。
心の傷は、そう簡単には癒えません。
しかし、ここから這い上がってこそ、その過程において、日本の将来があるものと思います。
私にとっても、今後のことを考えさせられる中学生の言葉でした。
川原尚行