17年のときを経て、念願のスーダンへ―入職のご挨拶【霜田治喜】
はじめまして。4月からスーダン駐在職員として入職しました、霜田治喜と申します。6月からスーダン事務所の常駐スタッフとして勤務しています。
2023年4月に首都ハルツームで軍事衝突が勃発し、日本人職員が国外退避して以来、理事長の川原がスーダンに出張ベースで渡航し事業を進める形をとってきました。この度、比較的安全が保たれているポートスーダンで活動を本格化できるめどが立ったため、スーダン事務所を再開することになり、そのタイミングにあわせて赴任することになりました。
さて、最初のあいさつで「はじめまして」とご挨拶しましたが、実はロシナンテスの設立当初に、スーダンの駐在職員として勤務していました。理事長の川原が外務省を辞職し、再びスーダンに入った2005年4月、お手伝いをするために一緒にスーダンに入りました。そこから、2006年5月のロシナンテス設立を経て、2009年までスーダンで勤務していました。

2008年に幸運にも結婚することができ、1年程単身赴任でスーダン勤務を続けましたが、別々に暮らすことに限界を感じロシナンテスを辞職し日本に戻りました。今回は17年ぶりのロシナンテス復帰です。
ロシナンテス復帰までの経緯
ロシナンテスを退職する際には、いつかまた帰ってきますと書いたことを記憶しています。
●霜田離任時の川原のブログ
日本に帰るときはすぐスーダンに戻れるような感覚がありました。しかし日本に帰って、病院の事務として働くようになり、子供もできて生活するうちに、スーダンにすぐに戻るのは無理だと感じるようになりました。
そこで、60歳で定年退職したときならば子供も高校3年になっていますし、そのタイミングでスーダンでまた仕事ができればとずっと考えていました。川原にもその希望は伝えていましたし、家族にもなんとなく伝えていました。
そんな感じで、スーダンに戻りたいとは思っていたのですが、2023年に内戦が始まり、スーダンに戻るのはもう無理かも、と考えるようになりました。ところが、2024年に日本国内から遠隔でスーダン事業を担当していた職員が退職することになり、事業が本格的に動いていないことから1日1時間程度の業務量ということで、スーダン事務所の事務を副業で引き継ぐことになりました。私が働いていたときに最初に採用したスーダン人スタッフ2人が残っていて面識があり、スーダンの事情がわかっていることが大きかったようです。
紅海州でモバイルクリニック事業が始まるようになり、昨年後半あたりから急激に仕事量が増え副業で対応するのは難しくなってきたタイミングで、スーダン駐在職員が必要になったので、どうだろうかという話が入ってきました。
この話があったときは、またスーダンに行けるとうれしかったのですが、家族にまず相談しないとといけません。妻は当初心配し反対していましたが、最終的には「どうせ行くんでしょ」と許してくれました。2人の子どもは、行っていいよと言ってくれました。そんな経緯で、60歳になる前に日本の仕事を辞め、またスーダンで働くことになりした。
スーダンで再び働きたいと思った理由
どうしてスーダンでまた仕事がしたいと思ったのかについて書きたいと思います。まず、最初にロシナンテスで働くようになったところから話を始めないといけません。
2003年頃の私は、自由に好きなことして生きる、結婚などしたら自由がなくなるから絶対しないというような考えで、世界中を旅しながら、山を歩いたり、激流を下ったり、海に潜ったりしていました。
ちょうどヨルダンを通るタイミングで、当時ユニセフのイラク事務所で働いており、のちのロシナンテス設立時にはスーダンでお世話になった竹友さんから、「ご縁のあるNGOが人手不足で困っているので、ヨルダン国内の難民キャンプを2週間手伝ってくれないか」という連絡が入りました。2週間なら面白そうだ、そんな経験なかなかできないと気楽にいいですと返事をして活動に加わり、そのままの流れでイラクまで行って2か月ほど活動しました。
活動の内容は、アメリカ軍がイラクの通信施設を攻撃したため、海外に出稼ぎに出ているたくさんのイラク人と国内の家族が全く連絡が取れない状況になっていたので、ヨルダンから手紙を持ち込んでの配達、衛星電話で海外の家族と連絡をとってもらうというような通信援助でした。それまでの私は国際援助など偽善だというひねくれた考えを持っていたような人間でしたが、実際やってみて仕事としてとても面白いと思うようになりました。
そして、またこのような仕事ができないかと思っていた2005年に、川原さんから一緒にスーダンに行かないかと誘いがあったのです。
スーダンでの当初の活動はほとんど何もないところからの始まりで、給料の保証もありません。その時私は大きな旅に出る予定でお金を貯めていたため、スーダンなら1年間給料なしでもやっていけるだろう、とりあえず1年はやってみようというという考えでした(実際ロシナンテス設立の2006年5月までの1年間、住むところと食事は出ましたが無給でした)。
しかし活動が始まってみると、これは天職ではないかと思うようになりました。スーダンでの活動は、政府は協力的ではなく、煩雑でまったく進まない役所の手続きに振り回され、生活環境も厳しいですし、とにかく普通の人ならストレスばかりの環境です。しかし、私はそれをとても楽しみ、むしろ一つずつ困難をクリアしていくのが面白いと感じることができました(もちろん多少のストレスもありますが)。
そして、スーダンの人々(役人を除く)がとても素晴らしい人々でした。とても親切で友好的で、家族を大切にします。スタッフの一人は少ない給料の一部を兄弟へ教育費として届けていました。あるスタッフは、兄弟に教育を受けさせるためリビアに出稼ぎに出て、兄弟が育った後に自分が大学に入ったそうです。そして村落部の人たちは、日本から見ると何もないと感じるような環境で本当に幸せそうに暮らしています。
そういうスーダンの人たちと一緒に過ごすうちに私の価値観は変わっていきました。自分の人生って自分のものではないんだ。それがとても素晴らしく肯定的に受け取れるようになりました。そして、そんなタイミングでご縁があり結婚することになりました。このように数々の幸運に恵まれ、若いときは好きなことばかりしていた私は、40歳を過ぎてから家族ととても幸せな時間を過ごすことができました。これもすべてスーダンの人たちと触れ合う機会があったからだと思っています。そして、スーダンの人たちに恩返ししたいと思うようになりました。
●ロシナンテス誕生秘話
スーダン赴任に際して
内戦が続く中、復興に向けてスーダンは大変な状況です。ロシナンテスも事務所再立ち上げで、事業も動き始め、やるべきことは山積みです。ワクワクする気持ちとともにとても責任を感じています。まずは安全確保を第一に考え、健康にも気を付けながら、少しでもスーダン復興の一助になれるように頑張ります。

スーダンへあたたかく送り出してくれた家族にはとても感謝しています。そして、日本からサポートするロシナンテスのスタッフ、そのほかロシナンテスにかかわる方々、支援者の皆さま、私がこうしてスーダンで活動できるのも皆さまのおかげと感じています。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
