特定非営利活動法人ロシナンテス

活動報告ブログ

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川原ブログ2015.01.11

手打ち式

日本は成人式ですね。
新成人の皆様、おめでとうございます。
私の娘も新成人でして、家内から、長女の綺麗な着物姿の写真がスーダンに送られてきました。
家族の成長が、私のスーダンでの活動の原動力でもあります。
さて、この週末にガダーレフに行ってきました。
これは、ロシナンテスで以前働いていたナジール医師の結婚式に招待されたためです。
ナジールは、地域医療の現場で頑張ってくれた医師であり、我々が推薦して、JICAでの研修プログラムで
日本の九州日赤看護大学で研修を受けたこともあります。
私がガダーレフに行ったのは、2年前の6月でした。
ロシナンテスのガダーレフでの事業が完了した時点で、HAC(スーダン政府のNGO統括機関)からの移動許可が一年ぶりに下りました。それ以来のガダーレフ訪問となります。
今回は、NGOのスタッフとしてではなく、私人としての訪問で、移動許可はHACからでなく、外国人移動許可のセクションで取得しました。HACからの移動許可は、数日から数週間かかるのに、今回は30分ほどで取れました。
車両は、ロシナンテスのものでなく、レンタカーを使用しました。
私と看護師の田中さんとガダーレフ出身のモハメド君それにレンタカーのドライバーという4人で向かいました。
ガダーレフの中でもシェリフ・ハサバッラ村で診療所の運営を行ったり、女の子の小学校を建てたり、井戸を掘ったりとしていましたので、まずは、そこのリーダーのハサンと連絡を取り合いました。
ハサンは、とりあえず、大きな集会があるから、ぜひこの村に来てくれと言われ、直接その村に向かいました。


何の集会かもわからずにいましたが、とにかく大勢の人が集まっています。
その中にハサンやシェリフ・ハサバッラ村の主要メンバーの顔が見られます。
そして、熱い抱擁を交わしました後に事情を聞くと、この集会は、日本でいう「手打ち式」のようです。
昨年の8月に、ある部族「A」がある部族「B」の家畜を奪おうとして、羊飼いの中の一人を殺害したそうです。殺されたBの部族は、その強盗団を攻め、その中の部族「A」の一人を殺害したようです。
日本であれば、事件として警察が出てきて、その後裁判となるところですが、ここはスーダンの地方で、違った裁きが行われます。
政府組織は、傍観者となり、部族間の話し合いを優先させるのです。
それが、この日の集会でした。
我々は、これはこの場にいることはふさわしくないと判断し、挨拶のみで済ませ、結婚式会場へと向かいました。
あとで聞くと話し合いはうまくいき、最初に強盗を企てた部族「A」が謝罪の意を表し、部族「B」がそれを受け入れたようです。
そして、部族「B」の殺人は、正当とみなされ、罪はないとのことでした。そして、部族「A」の有力者たちが謝罪をして、「このようなことが二度と起きないように、部族を引き締めていく」と約束したとのことです。
手打ち式があった村は、羊飼いが住んでいた部族「B」の村でした。
この当事者たる二つの部族以外にも、家畜を飼う仕事をしている多くの部族、そして政府関係者がこの話し合いを見守ったというのです。
私は、この話を聞いて、「民の力」は大いに存在するものであると思いました。
法整備の進んだ日本では、法の下と、裁判所での裁きなのでしょうが、この事件は当事者の集団の直接の話し合いという点で、全てが身近に感じられる裁きだったのだと思います。
スーダンそして他のアフリカ諸国もそうでしょうが、国という機関の他に、部族というものが存在します。
国が統制をとれずに、部族が勝手に争うこともあるようですが、このように自分たちで解決する時もあります。
スーダンの統治機構、そして人々の知恵の出し方というのを、考えさせられました。
スーダンでは、一時期、古くからの部族のシステムを壊しにかかったこともあったようですが、いまは古くからの部族のシステムを尊重する傾向にあるようです。
シェリフ・ハサバッラ村は、部族「B」に所属しています。我々が、ハサンたちの旧友と挨拶を交わしたその後に、部族「A」の人たちが何台もの車に乗ってきて、ずらりと整列をして、リーダから「さあ、行くぞ」との掛け声のもと、みんながいっせいに歩き出し、部族「A」との話し合いの場に向かいました。
その後の話し合いの場にいたわけではなく、これは、あくまでも想像ですが、部族の代表者が、衆目の中で男を張って、話をしたのだと思います。
そして、出された結論は、衆目の中で出されたことで、それは重きがあることでしょう。
短時間でしたが、この場に居合わせられたことに感謝して、彼らの懐の深さを再認識した次第です。